The Little Sanctuary

彼らのためにささやかな聖所となった。(エゼキエル 11:16)

The Little Sanctuary ―Hさんの死を通して―

 

私が働く身体障碍者入所施設では約五十人の身体障碍をお持ちの方が共同生活をしています。そこに住む方々は20年ほど入居されていることも少なくなく、その方の命全体をその施設の中でほぼ完結させている、循環させていると言えます。(日本の死入居型福祉施設の閉鎖性は課題です。)その中で、死というテーマに取り組むことは、そこに働く介護職員だけではなく、共に生活する方々も避けて通れるものではありません。この現場では常に人というものを深く考えさせられる場面に直面します。この文章も、私が働いている施設に入所されていたHさんの死に直面させられたことが動機になって書かれています。

 

・他者が死に介入するということ

Hさんが訪問看護や訪問診療などを受ける中でもうあと数日の命だと診断されてから、施設には異様な雰囲気が生まれました。末期がんを患いコミュニケーションもとることの難しくなったHさんの居室にはひっきりなしに人が出入りしました。その方のこれからの計画を相談する人たち、Hさんの体をケアする人たち、最後かと思って一目会いに来た人たち、Hさんが好きであった歌を大勢で歌いに来る人たち…孤独死をする高齢者が社会問題になるこの世の中で多くの人に見送られるHさんの暖かな最後に心が洗われるような気がしました。また見方を変えれば、普段とは明らかに違う喜怒哀楽が渦巻く「祭」がそこでは起きているような感覚もそこに抱きました。通常、人が亡くなった時には葬式という形である種の「祭」を行いますが、それは決まりきった儀礼というより人の死に伴った自然な他者の応答なのだとうことをこの時知りました。他者は(この時は施設のスタッフや他利用者など)人の死に直面すると、いてもたってもいられなくなる、何かをしてあげたい、と思ってしまうものなのかもしれません。「後悔が残らないように」その言葉は、死に向かう人というよりもそれに直面した他者の後悔という意味合いの方が大きいことは間違いないでしょう。死に向かう当の本人は直前の苦しさの中で他者のいたわりをすべて受け入れ感謝している暇も余裕もないはずです。葬式をはじめとする死にまつわる「祭」は残された人々のためにあるということは大事な点ではないでしょうか。ここで誤ってはいけないのが、死に直面した他者はその当人の死には介入できないということです。死のその時までの身体的苦痛を和らげたりすることはできても、その死に意味を持たせたり、その人の形而上学的な死後の世界の準備まで手伝うことはできないのです。言い方を変えれば、人は一人で死んでいく、その厳粛さの前に他者はその人を記憶し、沈黙するほかないのです。

 

「誰かが死ぬ、私は生きている。誰かが死ぬことと、私が生きていることのあいだには、何の関係もない。誰かの死と私の生は、徹底的に断絶している。誰かの死と私の生の断絶を、さらには、誰かの死と誰かの生の断絶を、思い知ることが弔うということである。」(小泉義之、一九九七:九/真鍋裕子「自閉症者の魂の奇跡」P97 )

 

誰かの死と私を結びつけると、そこには遺恨のようなものが残ってしまうことがあるのではないでしょうか。私のあの行動がいけなかった、あの人のあの行動がこの人を殺した、という死との連続性の中に生きるのは死に対する正しい向き合い方ではないのかもしれません。死後の事柄は最後まで隠されているのは、この生者と死者の絶対的な断絶に希望を見るためなのです。

 

私はクリスチャンとして不思議とその死の前に大きな心境の変化はありませんでした。私が薄情なだけと捉えてしまえばそれだけですが、最後の期間Hさんの介助にはいる際は時折祈りながら、この人が祝福され、そしてこの人に現れた主イエスに感謝しました。その霊性に調和した「最も小さい者のひとり(マタイによる福音書25章40節)」になったHさんと過ごした最期は、死を前にしての平安を私の中で与えてくれたのかもしれません。Hさんの死を知りあとは主に委ねる、Hさんが向かった場所がわからないからこその平安、そんな曖昧な、しかし確信的なシャローム(平和)を味わったのです。

 

・Hさんに現れる「神の国

先にも出たように、Hさんのもとには特に多くの人が訪れました。Hさんは愛され、人を引き付けるような人でした。70代後半であり車いすに乗っていたHさんは先天的な知的障害があり、知能は4から5歳児程度であるとよく説明されていました。長く続くコミュニケーションは難しく新人スタッフが最初に接するときは難しさがあるような方でした。しかしその分、自分の感情を素直に表出し、楽しい時は笑い、痛い時は怒り、日々の業務でストレスの多いスタッフは時折Hさんがいう「ありがとう」の言葉と笑顔に何度も助けられたのでした。私もHさんに助けられた一人で、決して特別の丁寧な介助をしているわけではないのに不意に感謝を述べてくれるHさんを前に胸が詰まるようになったことを思い出します。誠実に介助に入らねばと何度も思わされ、素直に感謝を述べつつ生きるHさんの姿がうらやましくもありました。天使のようなHさんの入浴介助に入る際は厳粛な気持ちで臨んだのもいい思い出です。洗体を行う際は、聖書的な行為である故(ヨハネによる福音書13章)私だけ隠れて祈りながら行うのですが、一生を車いすの上で過ごしたHさんの足は驚くほど細く、冷たくなっていました。弱弱しい足を洗う時、私なりのサクラメントを行わせていただいたのです。これこそ礼拝の身体性、祈り触れ合うことの重要性を学びました。―トマスも主イエスの復活を信じたのは、十字架にかかり死んだ方の脇腹に実際に触れた瞬間でした。―(ヨハネによる福音書20章24節から29節)

 

そして、今振り返るとHさんという神の国にわたしは触れていたのではないかと思うのです。先天的な知的障碍児として生を受け、身体も十分に整えられず、知能も幼児の様だと比喩されてしまうものしか与えられず、一見不遇を生きたとみられるのではないでしょうか。しかし、その方は私がかかわった最後の2年を見るだけでも、だれよりも大事なものを得て亡くなったと言えます。弱さを身に受け、素直に生き、感謝を伝えることをやめなかったHさんに見る霊性神の国の実現と言えるのではないでしょうか。

 

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。(マタイによる福音書25章34-40節)

 

地上に実現している神の国に触れ、かかわっていくこと、礼拝という形でキリストを賛美していくこと、これが私たち人間の造られた目的です。私はこの方と共にあった2年間の日々をもって退職し、伝道を志す日々に移っていきます。この2年間で受けた主の恵み、Hさんという神の国を感謝します、アーメン。